広島高等裁判所 昭和52年(ま)1号 決定 1977年10月05日
主文
請求人に対し金一七、九五八、四〇〇円を交付する。
理由
第一本件補償請求の要旨は次のとおりである。
一 請求人は、大正四年七月二七日強盗殺人事件の被疑者として勾引されて同月二九日勾留され、身柄拘束のまま同罪により起訴され、山口地方裁判所・広島控訴院においていずれも無期懲役の判決を受け、大審院に上告したが、大正五年一一月七日上告棄却の判決があり、右刑が確定して即日刑の執行を受け始め、昭和五年一二月六日仮出獄により出所した。
二 請求人は、昭和五〇年に右確定判決に対し再審の請求をし、広島高等裁判所昭和五〇年(お)第一号として係属したが、同裁判所は再審開始を決定したうえ、昭和五二年七月七日無罪の判決を言い渡し、同判決が確定した。
三 そこで、請求人は、大正五年七月二七日から、昭和五年一二月六日まで、未決の抑留または拘禁及び刑の執行を受けたことによる補償を請求するが、補償額を決定するについては、次の諸点を考慮のうえ、刑事補償法の定める最高額を交付されたい。
1 請求人は、勾引されて以来、警察、検事局、予審、公判を通じて一貫して無実を訴え、犯罪事実の一部たりとも認めたことはない。
2 右の再審による無罪判決をえて名誉を回復するまでに実に六〇年余を要した。その間、請求人自身の肉体的精神的苦痛はもとより計り難いものがあるのみならず、請求人の父母は不遇の生涯を終え、娘・孫まで良縁をえられず請求人と苦難を共にさせられて、いわれなき犠牲を強いられた。また、請求人が居村において耕作していた田畑と、その所有居宅はすべて人手に渡り、他国に流浪の生活を送ることを余儀なくされ、晩年ようやく郷里に近い肩書住所に帰住するをえ、娘と共にひっそりと余生を送っている。
第二当裁判所の判断。
記録を調査すると、前記第一、一、二の事実が明らかであって、刑事補償法一条一項、二項により、補償の請求をすることができる場合に該当するが、その抑留または拘禁及び刑の執行を受けた総日数は大正四年七月二七日から昭和五年一二月六日までの五、六一二日間である。そこで、補償金額について検討すると、(1)刑事補償法三条所定の事由は存せず、請求人は終始犯罪事実を否認していたこと、(2)拘束の期間は前記のとおり長期にわたり、かつそのうち約一四年一か月は刑の執行であったこと、(3)抑留の当初は二五歳の青年であったが、受刑中妻と離別し、仮出獄後も安住の地をえられず不遇の生活を送り、現在満八五歳であること、(4)再審請求が五回棄却され、六度目にしてようやく宿願を果たしたものであること、その他一切の事情を考慮し、刑事補償法四条一項所定の金額の範囲内で、その上限額である一日三、二〇〇円の割合によるのが相当である。
よって、前記抑留または拘禁及び刑執行の日数に応じて、請求人に対し補償金合計一七、九五八、四〇〇円を交付することとし、刑事補償法一六条前段により主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 干場義秋 裁判官 谷口貞 横山武男)